何をするかより何をしないかが大切
忘れる努力をするほど泥沼にはまる
マジメに向き合っていた恋愛ほど、失恋の直後は生活が変わり、虚無感と戦わなければいけなくなります。
その虚無感と恋人と過ごした時間の回想の繰り返しは、本当に辛いものです。
多くの人が、過去のことは早く忘れて次のステップに進みたいと考えるでしょう。
そのため、写真を削除してみたり、友達と飲み会に行ってみたり、新しい恋愛をすることで元恋人の記憶を削除しようとします。
しかしこの行為はたいてい上手くいかないということを、多くの人が理解しているでしょう。
忘れる努力は皮肉にも、その記憶をより鮮明にしてしまうだけなのです。
そしてその鮮明に突きつけられた過去から逃げるために、また全力で何かを行い、疲れて思考停止したところにフッともう体験することのできない過去の幸せな記憶が襲ってくる、というルーティンに苦しんだことがある人は多いのではないでしょうか。
「忘れる努力」は、疲れ切った精神を泥沼に引きずり込み、疲弊を上塗りするだけなのです。
忘れるのではなく関心を持つことをやめる
ではなにをするべきなのかと言うと、それは「関心を無くす」ということです。
失くしたときに苦しむような恋愛は、忘れようと思って忘れられるものではありません。
ケロッと忘れられるようなものであれば、そもそも最初から苦しんでなんかいないのです。
つまり、忘れるという行為は負けると分かっている戦いを行うようなものだと覚えておいてください。
「関心を無くす」ことと忘れることは、ほとんど同じような行為に思えますが、大きな違いがあります。
それは、関心を無くしたら、その恋愛を思い出しても心がかき乱されなくなる、ということです。
記憶はしっかり残っていても、それによって落ち込んだり食欲がなくなったり、一人旅に出る衝動に駆られるということが無くなります。
例えば、子供のころ怖くて行けない場所などがあったと思います。
暗いトンネルの中、学校の薄暗い体育館のトイレ、人体模型のある理科室、など誰にでも苦手な場所があったはずです。
その場所は今でも怖い場所でしょうか?
そんなことは無いはずです。
子供のころにその場所を怖がっていた記憶はハッキリあるのに、今ではそれに動揺することは無いという場合がほとんどでしょう。
それと同じで、失恋して辛い気持ちを忘れるのではなく、その気持ちにとらわれなくなるように努力することが重要になるのです。
それを実現するには、「第三者の目線で物事を見る」ことが有効です。
失恋で何も手が付かないときは、物語の中に完全に入ってしまっているときです。
その物語から抜けだして、読者になったつもりで物語を再度読み返してみましょう。
そうやって全ての出来事を第三者の目線で見直すことによって、いずれその失恋も、学校の理科室を怖がっていたことが信じられないように、過去の出来事となります。